神戸地方裁判所尼崎支部 昭和50年(ワ)319号 判決 1980年2月29日
原告
細川雅司
同
入谷章雄
同
藤川正彦
同
太田誠
同
武田義明
右原告ら訴訟代理人弁護士
野田底吾
同
中村良三
同
羽柴修
被告
日本スピンドル製造株式会社
右代表者代表取締役
露木篤造
右訴訟代理人弁護士
門間進
右訴訟復代理人弁護士
清水伸郎
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告が原告らに対し、昭和五〇年四月一八日付文書でなした解雇が無効であることを確認する。
2 被告は原告らに対し、昭和五〇年四月二一日以降毎月二七日限り、別紙(一)記載の各金員を支払え。
3 訴訟費用は被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二原告らの請求原因
一 当事者
被告は、繊維機械等の製造を主たる業務内容とし、資本金約一六億円、従業員約一、二〇〇名(昭和五〇年三月上旬現在)を有する株式会社であり、原告らは、いずれも被告(以下単に「会社」ともいう。)に雇用されていたものである。
なお、原告らは、同社従業員で組織された全国金属労働組合兵庫地方本部日本スピンドル支部(以下単に「組合」という。)の組合員である。
二 解雇の意思表示
被告は、昭和五〇年四月一八日付書面で、原告らに対し、「会社再建計画に基づく人員削減のための解雇基準により、同月二一日をもって解雇するが、同日午後四時三〇分までに退職の申出をすれば希望退職扱いにする」旨通告し、原告らは右退職の申出をしなかったため、いずれも同月二一日をもって解雇された(以下これを「本件解雇」と総称する。)。
右解雇は、労働協約(以下単に「協約」という。)二九条五項の「天災・地変その他やむを得ない事由のため事業の継続が不可能となったとき」に準じるものとして説明された。なお、原告らに対する具体的な解雇理由は、
1 原告細川雅司、同藤川正彦、同太田誠、同武田義明については、「欠勤日数の著しく多い人」との理由
2 原告入谷章雄については、「勤務成績の著しく低い人」との理由
であった。
三 本件解雇に至る事実経過
1 会社は、昭和五〇年三月一二日に開かれた第一回経営協議会で、組合に対し、業績悪化を理由に企業再建案として、従業員三〇〇名(全体の二五パーセント)の希望退職者の募集の提案をした。
2 これに対して組合は、同月一七日(第二回)、同月一九日(第三回)、同月二六日(第四回)に開かれた各経営協議会で、会社に対し右提案趣旨の釈明及び右提案の撤回を迫ってきたが、会社は、組合の反対を押切り、同月二九日の第五回経営協議会で、同年四月五日までの期間、希望退職者募集の公示を行う旨組合に通告した。
これによると、希望退職に応じて欲しい人の基準は、
(一) 勤務成績の低い人(成績考課がD、Eの人)
(二) 出勤日数の少ない人(過去三年間で欠勤が一〇日以上の人)
(三) 無届欠勤、無断離席など勤務態度の悪い人
(四) 商業、農業等自営業を営んだり、配偶者が働いている等、他に生活の途を有する人
(五) 定年後再雇用されている人
(六) 数年以内に定年を迎える人(昭和五〇年三月末現在で満五〇歳以上の人)
(七) これを機会に希望退職にご協力いただける人
というものであり、応募した退職者には、円満退職金及び会社都合加算金がそれぞれ退職金規定の通り支払われ、これに特別加算金(勤続一年当り三万五、〇〇〇円)及び特別慰労金(但し五〇歳以上の者に限り三五万円)がそれぞれ加算されて支給されることになっていた(後に、五〇歳以上の者については、家族同伴旅行費用六万円も加算された。)。
3 その後会社は、同年四月七日の第一回団体交渉で、右募集期限を同月一二日までに延長する旨通告するとともに、同月一一日には、右期限までに応募のない場合は、指名解雇もありうる旨発表し、その結果二一三名が希望退職に応じた。
4 さらに、同月一六日の団体交渉の席上、会社は、「同月一八日から指名解雇を行う。この場合の退職金は、会社都合による規定退職金とする」旨組合に提案するとともに、人員削減枠を三〇〇名から二六〇名に修正した。その結果、同月一八日までの希望退職者は合計二三六名となった。
5 そして会社は、右同日までに希望退職者が二六〇名に達しないとみるや、即日、原告らを含む一四名の従業員に対し、前記二記載のとおりの解雇通告をなしたため、そのうち五名が希望退職の申出をしたが、右申出をしなかった原告ら五名を含む九名が、同月二一日をもって指名解雇され、人員整理問題に終止符がうたれた。
四 本件解雇の無効
1 協約二九条五項所定の解雇事由の不存在
協約二九条は解雇基準を定め、その五項で「天災・地変その他やむを得ない事由のため事業の継続が不可能となったとき」という基準を掲げているところ、会社は前記のとおり、本件解雇は右協約二九条五項に準じるものであると説明した。
しかし、協約は、労働組合の団結力を背景に個別的労働関係を統制し、各労働者の労働条件を向上させることを目的としたものであるから、協約が解雇事由をうたった以上、それは当然に制限列挙とみなされ、協約所定の解雇事由以外の理由で解雇することは許されない。
しかして、協約二九条五項と同一文言を有する労働基準法二〇条一項但書の解釈につき、労働省解釈例規は、いわゆる業界不況は「天災・地変……事業の継続が不可能となったとき」に該当しない旨述べ、判例も「単に経済界一般の不況のために使用者が事業に失敗するに至ったというが如き場合までも包含する趣旨ではない」(東京高等裁判所昭和三一年二月一〇日判決、労働関係民事裁判例集七巻二号四〇九頁)と明快に述べており、また被告も、「ことここに至った原因は、全て経営者の責任にあり誠に申訳なく思う」と自己の帰責事由を全面的に肯定していることから考えても、本件解雇は、協約二九条五項に該当しない違法無効なものであることは明らかであり、この理は、解雇理由が右条項に準じるとした場合でも同様である。
なお、会社就業規則四九条六項は、「その他前各号に準ずるやむを得ない事由のあるとき」を解雇事由と定めるが、これは、労働基準法九二条との関係上何ら意味を有するものではない。
2 協約違反、解雇権の濫用
仮に、経営危機が解雇事由になるとしても、以下に述べるとおり、本件解雇は、協約に違反するから無効であり、または、解雇権の濫用として無効である。
(一) 協議約款違反
協約によれば、解雇の手続につき、まず二九条五項で会社が予告手当を支給して組合員を解雇できる場合として前記四1記載の基準を定め、三〇条で「前条各号の理由で組合員を解雇する場合、会社は事前に組合と協議する」ことを、協約覚書(5)で「二九条(解雇基準)以外の場合に於ても、組合員の解雇については、すべて組合と協議して定める」ことをそれぞれ規定している。そして、七六条三項で「本協約により協議を必要とする事項」については経営協議会の協議事項としており、八二条で「経営協議会に於て協議するも解決できない時は、会社及び組合から選出した代表者により解決を図る」旨団体交渉することを定め、この団体交渉にあたっては、「書面をもって少なくとも二四時間前」に申入れがなされねばならず(八三条)、「会社及び組合は、問題点を迅速円満に解決するために誠意をもって努力する」(八四条)義務がそれぞれ明文化されている。さらに、右のごとき手続を経てもなおかつ「解決できない場合は、第三者又は労働委員会に調停を依頼するか否かを四八時間以内に協議決定する」(八五条一項)ことをうたっている。
ところで、被告は、希望退職者の募集を行うにつき右の協議を十分尽くさないまま、組合の強い反対を押し切ってこれを強行しており、しかもその実体は、上司が個々の従業員を呼び出しては恫喝し、半ばノイローゼ気味にして無理矢理に応募させる形をとるなどして、右募集の提案(昭和五〇年三月一二日)から本件解雇(同年四月一八日)までのわずか三八日間に二三六名もの従業員に退職を余儀なくさせるという不当なものであったが、本件解雇を行うにあたっても、協約に規定された手続を何ら経ていない。すなわち、被告は、本件解雇自体については、経営協議会はもちろん団体交渉の申入れさえも行っていないうえ、協約八四条、八五条の手続も履行していない。ましてや、本件解雇が協約二九条五項に準じるものとするならば、同覚書(5)により原告ら組合員に対する本件解雇は組合との協議決定事項となるから、組合が同意していない右解雇は協約違反であり無効である。
(二) 解雇の正当事由の欠如
(1) 本件解雇当時、被告には、人員整理をしなければ企業の存続維持が不可能になるほどの経営の危機が現実に生じてはいなかったばかりか、人員削減枠についても、被告は当初三〇〇名の整理は「絶対的条件であり、その見直しさえもできない」人数と言い、「早期に三〇〇名の削減を達成しなければ、再建計画の達成はおろか企業存続も困難となっております」と大見栄をきっていた数字であったにもかかわらず、絶対的条件であるはずの三〇〇名という数字が短時間の間に二六〇名となり、さらに四月一八日付書面でなした一四名に対する指名解雇通告により、結局二五〇名の人員整理をもって、人員削減問題について終止符を打つことになったのである。これらの経過からみると、最終的な二五〇名という数字さえも、企業倒産を避けるために絶対必要な人員削減限度でないことが明らかである。
したがって、原告らの解雇には、客観的な必要性はないといえる。
(2) 各原告らに対する具体的解雇理由はいずれも合理性がない。
(原告細川、同藤川、同太田、同武田)
協約二三条によれば「病欠六か月以上、自己欠勤一か月以上」の場合には、同二四条により、その後「病欠の場合は一年間、自己欠勤の場合は二か月」の休職となり、この休職期間満了をもって初めて従業員資格を失う(同二八条)旨の取扱いが、労使双方により約束されている。ところが原告らの場合、原告細川は休職約一年二か月、同藤川は病欠約九六日、同太田は約一三日、同武田は病欠三一日を含め約四三日であり、右協約上従業員資格を失う要件に該当しない。したがって、被告が協約を無視して右原告らを指名解雇することは許されない。
しかも、従業員の中には解雇基準に該当していても解雇されなかった者もおり、右原告らのみがなぜに解雇されなければならないのか、全く明らかでない。
(原告入谷)
協約上査定成績の悪いことは解雇事由にすらなっておらず、また、成績考課は、査定者の恣意、主観が入りやすいものであるから、これを解雇基準として強行適用するには、労使対等決定の原則(労働基準法二条)という法的要請から考えて、労使間に何らかの合意を必要とすべく、かつその査定者、基準項目のいずれにおいても客観性がなければならない。しかるに、本件においては、右の合意はなく、また査定基準も明らかでないなど客観性もない。
さらに、同原告の労務内容は、研究開発部員として特許関係の調査、検討であるが、同原告は、入社以来二〇年以上にわたる勤務状況に難はないばかりか、むしろ発明、特許は約一〇件を数え、このため日本学術会議会員として現職場に適任の人物であって、なぜに勤務成績が著しく低いのか明らかでない。逆に、本件解雇をめぐる被告との問答で、「君は顔付が悪い」「悪い風評がある」などと被告の管理職が発言しているが、このことからも、成績考課が恣意的になされていることがうかがえる。
(3) それでは、被告がなぜ原告らを解雇しなければならなかったかを考えてみると、それは決して業務上の必要からなされたものではなく、原告らが「会社の実態をよく理解して」行動(退職)しなかったことに対して、会社が将来の人員整理をスムースに進めるうえで、会社の決意を示す必要(見せしめ)があったからにほかならない。このことは、希望退職者の募集に応じた場合と応じなかった場合の退職金等の取扱いに大きな差があることからもうかがうことができる。したがって、本件解雇は、実質的には懲戒解雇処分であり、しかも、協約四九条の懲戒事由に該当しない違法無効なものである。
五 賃金
原告らは、被告から毎月二七日に賃金の支給を受けており、本件解雇前三か月の月額平均賃金は、それぞれ別紙(一)記載のとおりである。
六 結論
よって原告らは、被告に対し、本件解雇が無効であることの確認と、本件解雇の日である昭和五〇年四月二一日以降毎月二七日限り別紙(一)記載の各金員の支払を求める。
第三請求原因に対する被告の認否
一 請求原因一の事実は認める。
二 同二の事実は認める。
三 同三1ないし5の事実は認める。
四 同四について
1 1の事実は否認する。
労働基準法二〇条一項但書の規定は、解雇予告手当を支給しない場合の問題であり、本件解雇とは直接関係がない。
2 2の事実中、(一)及び(二)(2)のうちそれぞれ協約中に主張のとおりの条項が存在することは認めるが、その余はすべて否認する。
五 同五の事実中、原告らが毎月二七日に賃金の支給を受けていたことは認めるが、その余は否認する。
第四被告の主張
一 人員整理の必要性
1 本件解雇が行われた当時は、わが国政府の総需要抑制政策が長期にわたって継続していたため、経済界全般に景気が著しく後退し、しかも今後の経済全体の推移は、世界的環境からみても、また社会的、資源的制約からみても、年間成長率一桁の減速経済となることは必至の状況にあった。
2 こうした中で、繊維機器に対する需要も大幅に減退したが、これは単に一般的な不況に伴う需要減退にとどまるものではなく、東南アジア諸国を初め、開発途上国における近年の繊維産業の台頭や国内需要の変化等からくる設備の恒常的な過剰(新聞紙上では、日本の紡績錘数は三〇ないし五〇パーセントが過剰というのが定評であり、また日本紡績協会の公式見解でも、昭和五五年になってもなお一二パーセントの過剰が生じるとしている。)に起因する繊維業界のいわゆる構造的不況及びスピンドル、紡機部品における新方式の普及、開発途上国への繊維機械輸出の減少等の影響による長期的なものであった。
3 このような状況に加えて、昭和四九年秋以降、被告の経営を圧迫するいくつかの突発に近い問題が連続して発生した。すなわち、
(一) 韓国向け仮撚機の受注取消
同年三月に売買契約を締結し、既に梱包まで完了していた高速仮撚機一四台(契約金額三億九、二〇〇万円余)につき、韓国側の事情により契約解除となったため、同年九月ころ、その一部を除いて廃棄処分にせざるを得なくなった。
(二) 取引先会社の整理
被告と二〇数年来の深いつながりを持つ取引先商社である訴外泉商事株式会社が、同年一一月会社整理に入った。被告が当時同訴外会社に対して有していた債権の残高は、売掛代金債権が一億七、〇〇〇万円余、手形債権が七、〇〇〇万円余、合計二億四、〇〇〇万円余であった。
(三) 代理店の倒産
売掛残高では一位、受取手形残高では二位の扱い高を有していた、被告の主たる代理店である訴外三亜興業株式会社が、昭和五〇年一月末に自己破産を申請した。被告が同訴外会社に対して有していた債権残高は、売掛代金債権が五億一、七〇〇万円余、手形債権は四億四、四〇〇万円余、合計九億六、二〇〇万円余にものぼるものであった。
(四) 仮撚機の長期債権の回収不能続出
長期決済を条件として、主として北陸地区の繊維業者向けに販売していた仮撚機の手形決済が滞るものが続出し、同年二月末現在で、これらの不良債権ないしは不良となる可能性の濃い債権つまり決済ができていない手形債権の残高は一億三、〇〇〇万円余となっていた。
被告にとっては、このような事故が数か月の間に連続して発生したことはもとより、こうした不良債権の発生は、金額の点でも正に未曾有の経験であった。
4 これに対し被告は、臨時休業、雇用調整給付金による一時帰休制、パートタイマー等の契約解除、人員の再配置、経費節減、役員報酬や部課長給与の一部カット、他社への仕事の応援等実施できる施策は、全て組合の協力を得て行い、また内部留保の取崩しについても、当時唯一取崩し可能であった価格変動準備金八、九〇〇万円を取崩すなどの経営努力を行った。
5 しかし被告は、前記不況等の影響で第五二期(昭和四九年一〇月から昭和五〇年三月まで)は受注、売上共に当初の計画を大きく下回り、計画に対して受注は約三〇億円、売上は約二三億円下落の見込となったばかりか、同期における資金繰の実績をみても、売掛金等の回収が減少した反面、経常支出はこれに比例して減少せず、経常収支尻で約一三億円の赤字となり、借入金の返済等も含めると資金不足は約二七億円にも及び、借入金約二四億円を調達したもののなお約三億円の不足を来しており、また借入純増も約一二億五、〇〇〇万円にのぼっていた。
したがって被告は、補てんする資金の借入をさらに増加させない限り企業倒産は必至という状態に立ち至っていた。
6 そこで、金融機関が企業に融資する際判断基準とする以下の諸点に照らし、被告の資金調達力について検討してみると、
(一) 含み資産
被告の固定資産の負担限度は、二七億九、〇〇〇万円余であり、ほかに流動資産一一億八、〇〇〇万円余を加えても合計三九億八、〇〇〇万円程度といえる。これに対し、昭和四九年一二月現在長期・短期借入金のみで四六億二、〇〇〇万円余も借入れており、ほかに手形割引残を加えると七九億円を超えているが、売却できる資産は既になく、むしろ負担限度を超えて借入れをしているのが実情である。
なお、被告の抵当権(工場財団抵当)設定状況は、昭和五〇年五月現在で、亀岡、茨木両工場は第九位、尼崎工場では第一九位まで設定されている。
(二) 内部留保
日本銀行調査による昭和四九年上期の一般機械製造業三三社の平均と被告の同年九月期とを比較すると次のとおりである。
<省略>
三三社平均 二三・一パーセント
被告 一六・三パーセント
資本金に対する内部留保の比率
<省略>
三三社平均 一・九六
被告 〇・三六
このように被告は、負債に比して自己資本の割合が少なく、かつ自己資本の大半は資本金であって、内部留保・蓄積は極端に小さい。
(三) 期間損益
昭和四五年九月期から昭和五〇年三月期までの会社の売上高と経常利益の推移は別紙(二)のとおりである。
これをみると明らかなとおり、過去四年間では、半数の期が欠損であり、経常利益累計額でも赤字である。過去五年間までさかのぼって辛うじて累計が黒字となる有様である。
(四) 配当
被告は、昭和四六年九月期以降無配を続けている。東京証券取引所一部上場会社の機械関係六八社中昭和四九年上期に無配であったのは七社にすぎず、そのうち被告は七期連続(昭和五〇年三月期では八期連続)無配を継続しており最も長い。これは、先に改正された東京証券取引所の上場廃止基準の一つである「最近五年間無配継続」にあと二期(一年)と迫るほどの芳しからざる状況である。
このように、ごく一般的な貸出基準からみても、被告は最低の状態であるのに加えて、前記主要取引先の倒産等により、金融機関からのいわゆる与信ランクは、既にランク外といえるところまで低下していた。
7 このような事態の中で、企業を存続させるためには、さらに与信限度を超えた資金の流入が必須となるわけであるが、この場合、金融機関がこれ以上貸付をするためには何により所を求めるかといえば、結局は、現下の問題点に対する迅速な対策とその成果及び将来に向っての再建の可能性の有無の二点のみがその判断基準となるのは当然といわねばならない。
そして、被告にとって現下の最大の問題点とは、恒常的な余剰人員の存在にあるといえる。すなわち、五八期(昭和五三年三月まで)までの売上計画(但し建材部門を除いた本社分)と適正人員及び余剰人員が生じる実体を検討すると、別紙(三)のとおりとなる。
この数字で明らかなように、余剰人員の比率は、ここ一年間で三五パーセントを超え、三年平均でも毎期三八〇人に達することになり、一時的な余剰ではなく、長期的余剰であることがはっきりする。被告が、従来から潜在的余剰人員を持っていたにもかかわらず、過去数年間利益を計上しえたのは、たまたま高度経済成長の一時期に、繊維機械部品や油圧機器等の売上がかつてない水準に達し、低生産性の問題点が生産量増加により表面化しなかったこと、つまり質を量で補いえたからであるが、今後の減速経済体制のもとでは、こうしたことは考えられないのである。
そして、この余剰人員の人件費は、現行ペースで三年間に二六億五、〇〇〇万円に達し、企業として負担に耐えられないものであり、しかも、前記経営の状況を考えると、余剰人員の自然減少を時間をかけて待つといった余裕は全くなかった。つまり、被告にとっては、内的にも外的にも、早急な人員整理が企業の存続に不可欠の条件であったのである。
8 そこで被告は、会社再建計画という企業経営全般にわたる方針等の中でやむを得ず人員整理を決意したが、削減人員については、前記のとおり昭和五〇年三月当時余剰人員が三〇〇名以上いたことは客観的事実であったものの、労使関係などを考慮して極力少なめにとどめた結果、当初削減人員の枠を三〇〇名とした。
その後、余剰人員削減の早期達成とともに、労使関係を正常に復して再建計画に着手することが急務であったため、被告は、種々検討した結果、今後新規製品への人員の早期吸収の努力を経営努力として行い、かつ組合の協力(配転、週五日労働制、定年後再雇用協定の中断、営業手当支給方式の変更等)を期待して、削減枠を二六〇名にまで譲歩した。
このように削減人員を圧縮した段階では、これだけの数はどうしても削減せざるをえなかったのであって、このことは、昭和五三年四月に再度人員整理を行わざるをえなかったことによっても明らかである。
なお、本件の人員整理は、最終的には合計二五〇名であったが、これは、昭和五〇年四月一八日に希望退職者が二三六名となった段階で、退職日は若干遅れるが、近々退職を予定している者をさらに一〇名洗い出し、これを削減人員の中に加え、なおかつ不足する一四名だけに、最終的に指名解雇を通告するにとどめたためである(さらにそのうち五名は希望退職扱いとなったため、実際に指名解雇となったのは九名であった。)。
二 組合との協議
1 会社が、昭和五〇年三月一二日の第一回経営協議会の席上、組合に対して三〇〇名の希望退職者募集の申入れを行ったのに対し、組合は、本来ならこの場で拒否すべき性格のものであるが、内容になお吟味の余地があるように思われるので、どう扱うか執行部で検討してみたいということであった。
2 そして、以後三回の経営協議会で協議が続けられた後、同月二九日の第五回経営協議会で、会社は、経営責任において希望退職者募集の公示を行いたいと述べ、これに対して組合は、会社が経営責任でやるというなら反対をしてもやるだろうから関知できないという態度であり、その後は、定年退職金(会社都合退職金)の精神について協議を行ったのである。そこで会社は、右同日に希望退職者募集の公示を行った。
3 次いで、同年四月七日労使双方の申入れにより第一回団体交渉が開かれ、これに続く同月一四日の第二回団体交渉において、会社は、組合に対し指名解雇の実施についての協議を申入れ、協約二九条五項に準じたものとしての解雇を提案した(もっとも、会社は既に同月一一日の段階で、指名解雇もありうることを予告はしていた。)。
4 そして、同月一六日に右一四日の団体交渉の継続という形で団体交渉が開かれ、その席上会社は、前記一8記載(人員削減の早期達成、労使関係の正常化と再建計画の早期着手)の配慮から、人員の削減枠を二六〇名に縮減したうえ、この二六〇名と希望退職者数との差に相当する人員を、同月一八日から指名解雇したい旨提案した。
5 さらに、同月一八日の第三回団体交渉で、会社は、三〇〇名を二六〇名に縮減したうえでの指名解雇であるから、二三六名の希望退職者だけでは不足であるので、さらに会社が譲歩して一四名のみを指名解雇し、合計二五〇名の人員整理で今回の人員削減対策を終了したいと提案し、組合と協議を重ねたがまとまらなかったため、組合三役と会社の人事部課長で、協約八六条に基づき、同日正午をもって協約八七条の争議段階への移行を確認した後、同日午後一時三〇分より、原告らを含む一四名の従業員に対し、会社都合による規定退職金と解雇予告手当を提供して解雇通告を行ったものである。
もっとも右解雇通告にあたっては、同月二一日午後四時三〇分まで希望退職に切り替える猶予措置をとっていたので、原告らにとっても、希望退職の道を選ぶか、解雇の措置に甘んずるかの選択の余地は充分に残されていた。
6 以上の交渉の過程で、組合は、基本的には今回の人員削減に対し反対するとの立場をとっていたが、会社との交渉の実質的な内容は、退職条件の向上等のいわゆる条件交渉にほかならなかった。そして、その結果退職条件については、
(一) 退職金の額に関し、従来定年退職者にのみ実施されていた方式を、組合の要求で、希望退職者の退職条件に取り入れたこと
(二) 会社都合退職金に関する組合の秋闘要求の方式と混合して取り入れたこと
(三) 再雇用者の特別加算金の考え方につき、組合の考え方を全面的に取り入れたこと
(四) 五〇歳以上の希望退職者を、組合の要求により定年退職者と同様の扱いとし、家族同伴旅行券の贈与、その他勤続表彰、記念品の贈与をすることとしたこと
また、人員整理の実施方法については、
(五) 希望退職者募集開始期日を二度にわたり組合の主張により変更したこと
(六) 希望退職者募集に関する説明や要請の方法について組合の主張を受け入れていること
(七) 指名解雇を行う段階になって、会社は、問題の早期解決のために、三〇〇名の募集人員を組合の主張により二六〇名とし、計画の根本に触れる修正すら行ったこと
(八) 再建計画の内容について、会社は、組合にその詳細を説明し、組合をして「具体性あり」と評価せしめていること
などの点が、協議の具体的な現れといえる。
7 このように被告は、本件解雇を行うにあたって、組合と充分に協議をしている。なお、協約覚書(5)は、協約三〇条の付則であって、同条との関係からいっても、協議条項にすぎず、協議決定条項あるいは同意条項でないことは明らかといえる。
そして、組合との団体交渉も、結論的には交渉がまとまらず決裂状態になったものの、その実態としてはごく平静な論議のやりとりに終始し、また組合は、本件解雇についての限定したスト権を確立したが、わずか三〇分間のスト実施のみにとどまっており、その後の労使関係の実情等も考えれば、組合は、本件解雇を黙認したともいえるのである。
三 指名解雇の人選基準
1 原則的な考え方
被告が、前記経営危機を乗り切り企業を存続させるためには、従来の繊維機械部品から油圧式ショベルや船舶大型バルブ等の建設機械や産業機械を中心とした大型機種へ短時日に転換を図らねばならない。このためには、作業面からいえば、旋削、研磨、手作業による組立等小物機械加工中心から、製缶、熔接等会社にとっては全く新しい技術、技能を早急に習得し、戦力化していかねばならない。これらの新しい機種の売上は、五三期(昭和五〇年九月期)に一億円を期待し、五四期には三億九、〇〇〇万円余、五五期には八億七、〇〇〇万円等急速な増加を目論んでおり、また、これを是非とも早期に実現しない限り、再建は不可能となるのである。そして、そのためには必然的に、新しい技能への適応、習得力、また肉体的な労働能力等からみて、将来的な貢献期待について客観的公平な基準として、
(一) 年齢による期待度の評価
(二) 過去の出勤(欠勤)状況から類推した将来への期待度の評価
(三) 過去の勤務成績から類推した将来への期待度の評価
を人員整理の基準とせざるを得ない。
2 指名解雇の人選基準
被告は、指名解雇を行うにあたっての人選基準につき、まず右の原則的な考え方に立ち、次いで希望退職者募集時の希望退職に応じて欲しい人の基準(原告らの請求原因三2(一)ないし(七)記載のとおり)をさらにしぼって、次の人選基準を設定した。
(一) 昭和五〇年三月三一日現在で満五〇歳以上の人(但し事業存続上必須の人は除く。)
(二) 欠勤日数の著しく多い人
欠勤日数の換算は、早退・私用外出は三回を、遅刻は六回を、診断書の提出がある病欠・休職は五日をそれぞれ欠勤一日と換算し、その総欠勤日数によった。そして、この換算基準により、四〇歳代の人は過去三年間で一四日以上、三〇歳代の人は過去三年間で二一日以上、二〇(一〇)歳代の人は過去三年間で二八日以上をそれぞれ該当者とした。
なお、年齢によって基準に差を設けたのは、新しい技術、技能への適応可能性に対する期待度の違いと年齢の高い人は概して勤務年数も長く有給休暇等の取得日数も多い点などを考慮した結果である。また、遅刻・早退等の換算基準についても、何らかの評価、換算基準によらねば相対的かつ客観的な比較ができないため、一定の基準を設定したが、これについては、協約に基づく賃金規定六条<4>に「遅刻、早退または私用外出が三回に及んだときおよび午前中の早退または二時間を超える私用外出は欠勤として計算する」と規定されていること並びに夏及び冬の一時金について、昭和四三年夏の一時金から欠勤控除を実施し既に六年余になるが、この場合の換算方法は、早退、私用外出は三回、遅刻は六回、私病欠勤又は休職は二日をそれぞれ欠勤一日としているのを参考にした。特に診断書提出のある病欠又は休職については、一時金の欠勤控除では二日だが、本件基準ではこれを五日をもって欠勤一日に換算することにしている。
(三) 勤務成績の著しく低い人(具体的には過去三年間の成績考課が二年以上Eの人)
会社の労使関係においても、協約一九条で「人事は会社が之を行う」と規定され、また具体的にも、賃金の昇給査定(成績)について、労使協定による「賃金規定」一〇条(事技職の成績査定)、六条(作業職の成績査定)において、AないしEまでの五段階で査定することが規定されている等、成績考課は、人事権の範囲に属するものとして会社に委ねられているのである。
そして、会社の成績考課は、実施要領にもあるごとく、事技職員については課長が一次評定を行い課内の調整をし、部長が二次評定を行い部内の調整をし、さらに会社の部長が集まって行う全社審査会議において決定し、担当役員(人事担当常務取締役)の承認を得ることになっており、単に一部課長の感情による恣意的考課となることは全くない。また、考課者に対しては、「人事考課の手引」を配布し、考課の公正と信頼性を高めるための教育も実施しているし、さらに、毎年の査定の集計結果は組合にも報告されており、異議ある場合は、その都度賃金交渉における労使小委員会において協議されている。
ちなみに、過去三年間の成績査定の集計結果を見ると、事技職について成績がD、Eの各人員比は、
昭和四七年 四一三名中Dは一・七パーセント、Eは〇
昭和四八年 四一二名中Dは四・四パーセント、Eは〇・二パーセント
昭和四九年 三九九名中Dは四パーセント、Eは〇・二パーセント
となっており、全体の五パーセントにも満たないものである。
四 原告らに対する人選基準の適用
1 原告細川、同藤川、同太田、同武田右原告らにつき、前記三2(二)記載の方法によって計算した欠勤日数は、別紙(四)のとおりとなり、これらの原告は、全て前記三2(二)の欠勤日数の著しく多い人の人選基準にあてはまる。
なお、右基準にあてはまる者で、指名解雇されることなく会社に残留している者は一人もいない。
2 原告入谷
同原告の過去三年間の成績考課は、昭和四七年がD、昭和四八年、四九年がいずれもEであり、これは前記三2(三)の勤務成績の著しく低い人の人選基準にあてはまる。
しかも、同原告が所属していた研究開発部門が担当する職務は、製品の研究、開発であるが、対外的必要性がある場合には、その成果を工業所有権として確保することも行われているところ、同原告についてみると、研究部員としての一一年間に保有した工業所有権は八件に過ぎず、その他請求中または保留中のもの等を含めても一五件にとどまる。ちなみに、これを同原告と同期入社の同学歴の組合員であり研究開発を担当していた者についてみると、一人は二九件、他の一人も二三件保有している。さらに、会社の保有する工業所得権は全部で五〇〇件以上あり、そのうち実用化されているものは二〇三件(約四〇パーセント)であるが、同原告の工業所有権は、内容からみても、現在会社で実際に使用されている一件以外は、実用になり難い単なるアイデア的なものが多く、会社にとっては価値の乏しいものである。
これらをみても、同原告が研究部員として優れた能力を持っていたとはとうていいい難いことは明らかである。
なお、この基準にあてはまる者で会社に残留している者は一人もいない。
第五被告の主張に対する原告らの認否及び反論
一 被告の主張一について
争う。
いわゆる繊維危機が昭和四〇年ころより叫ばれ続けていたことは公知の事実であり、急遽昭和五〇年に入って勃発したものでもない。現に被告は、昭和四六年にも同じ理由で人員整理を行っており、今日の事態は十分予見できたはずである。それにもかかわらず、被告は、本件解雇に至るまで人員削減についての何らの方法もとっておらず、逆に新規採用さえしてきた。しかも、かかる不況は、開発途上国における繊維産業の台頭が大きな原因となっているが、これは、被告が多額の出資をして韓国スピンドルを設立したごとく、正にわが国資本が安い労働力と高利益をねらって過去に東南アジア等に大量進出した結果にほかならない。このように、被告の経営危機は自ら招いたものである。
また被告の経営状態をみても、五二期の売上高は約七三億円で、営業費用(原価、人件費など)約六九億円を差引くと約四億円の営業利益が出ており、経常損失二、四六四万円余が出たのは、営業外費用がかさんだことによるものであって、人件費が原因となっているのではない。しかも、被告が計上している退職給与引当金は、従業員が全員一斉に退職した場合に支払われる退職金の引当金であるが、そもそも全員が一斉に退職することなど倒産以外にはあり得ないわけであるから、これを全額負債として収益から控除するのはおかしいうえ、被告は、赤字を取り崩すために右引当金を崩したこともないのである。
このように、本件人員整理はその必要性がなかったといえるが、このことは、五三期では一億五、〇〇〇万円余にものぼる経常利益が出ていること、本件地位保全仮処分決定後も、毎年春には賃上げ、夏季、冬季にはそれぞれ一時金を、組合との協定を通じ、原告らも含めた全従業員に支払っており、しかも残業は増加し、それでも応じ切れないため仕事を外注加工にまわしている状態であること、さらに新規従業員の採用さえ行っていることからもうかがうことができる。
仮に人員整理の一般的必要性が認められたとしても、多数の希望退職者が出た後では、大きく状況が変わっているのであるから、人員整理の必要性、緊急性は極めて希薄となっているはずである。
以上要するに、被告は、世間で不況が言われているこの時期を千載一遇のチャンスにして、企業にとっていかなる時でも利益が出るようにする体制を遮二無二作ろうとしたのであり、人員削減枠は、企業倒産を避けるためのぎりぎりの数字ではない。
二 同二について
争う。
三 同三について
争う。
解雇基準は、被告が換算基準等につき具体的説明をしたのは地位保全仮処分事件の準備書面(昭和五〇年六月六日付)が初めてであり、本件解雇前に組合や従業員に対し何ら説明を行っておらず、同年四月一八日の団体交渉の席でも、組合が右基準の説明を求めたのに対し被告はこれを拒否さえしたこと等から考えても、本件裁判を有利に進めるため後日考え出したものにすぎない。
仮に、被告主張の解雇基準によって本件解雇が行われたとしても、「欠勤の多い者」との基準に関しては、就業規則二四条によると、欠勤が七日以上の場合に診断書を要する取扱いをしており、従業員は右以外は診断書を提出しないのが普通であるが、解雇基準によると、診断書がない病欠は実日数が算入されることになり甚だ不公平であるうえ、賃金規定に基づく欠勤取扱いは一か月単位、一時金は半年単位でそれぞれ更新(白紙に戻る)されてゆくのに、本件解雇基準は三年間すべてを継続して取扱うという極端な不利益変更を加えている。また「成績が悪い者」との基準に関しては、査定が非常に査定者の主観、恣意が入りやすいものであり、これをさらに人員整理の基準にまで拡大させることはとうてい合理的とはいえない。
四 同四について
1 1の事実は争う。
2 2の事実中、原告入谷が研究部員として一一年間に保有した工業所有権は八件であり、その他請求中または保留中のものを含めても一五件にとどまるとの点は認めるが、その余は知らない。
なお、同原告の工業所有権の価値については、社会的要求、技術進歩と関連するので、一概に価値がないとは断定できない。
第六証拠(略)
理由
一 請求原因一、二の事実(当事者及び本件解雇の意思表示)は、当事者間に争いがない。
二 本件解雇は、以下に検討するとおり、余剰人員削減のためのいわゆる整理解雇であるが、このような解雇が有効とされるためには、第一に、人員整理の必要性、すなわち、企業が客観的に高度の経営危機下にあり、解雇による人員整理が必要やむを得ないものであること(その前提として、解雇回避のための経営努力が尽されていることが必要である。)、第二に、解雇実施に至る手続が、労使間の信義則にかなうものであること、第三に、被解雇者の選定にあたっての人選基準が合理性を有し、かつその具体的な適用も合理的かつ公平であることの各要件を充足することが必要であり、もし右の要件に欠ける場合には、その解雇は、解雇権の濫用による解雇としてその効力は否定されるものと解するのが相当である。
なお原告らは、右第一の要件に関して、人員整理を行わなければ企業の存続維持が不可能になるほどの経営危機が現実に生じていることが必要であると主張するが、人員整理の必要性につき右のごとき厳格な要件を課すことは、安易に人員整理の方法による経営危機の回避が計られるようなことがあってはならないことは勿論であるとはいえ、経営状況の分析・予見につき、経営者にあまりに過大な危険を負担させる結果となり、経営権ないしは経営の自由に対する制約としては大幅に過ぎるといわざるを得ず、採用し難い。
また、原告らは、労働基準法二〇条一項但書の規定の解釈から、本件のごとき整理解雇はそもそも許されないと主張するが、同規定は、一般に労働者を解雇しようとする場合において、解雇予告手当を支払わず、また予告期間をおかないで即時解雇を行うことができる場合についての規定にすぎないのであるから、その規定の解釈が、本件整理解雇自体の能否についての判断に直接妥当するものではないことは明らかである。しかして、協約二九条五項及び同覚書(5)の各規定が請求原因四2(一)記載のとおりであることは当事者間に争いがないところ、同覚書(5)の規定によると、本件のごとき整理解雇が、少なくとも協約二九条五項に準じるものとして行われる場合のあることを当然に予想しているものと解されるから、いずれにしても、この点に関する原告らの主張は採用できない。
三 そこで以上第一ないし第三の要件に従い、まず第一の要件である人員整理の必要性について以下に検討する。
(証拠略)によると次の事実が認められ、(証拠判断略)、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
1 本件解雇当時のわが国の経済情勢全般及び繊維機器業界の状況は、被告の主張一1(景気の後退、減速経済)、2(繊維機器の長期的需要減退)各記載のとおりであり、また被告の経営の状況と問題点は、同一3(一)ないし(四)(受注取消、取引会社の整理、代理店の倒産、債権の回収不能)、6(一)ないし(四)(含み資産及び内部留保資金の減少、期間損益の赤字、無配当)各記載のとおりであった。
2 これに対し被告は、経営改善の方策として、繊維機械部門への依存度を減らし、環境機器部門や建材部門への進出をさらに押し進めるなど経営体質の改善をはかり、あるいは新機種導入や部品部門の採算性の均衡化の方針を打ち出すとともに、緊急対策として、昭和四九年一一月ころから、パートタイマーの契約を解除するなどし、人員の再配置、経費節減、従業員の他社への長期派遣、役員報酬や部課長の給与の一部削減等を行い、さらに昭和五〇年一月から臨時休業体制を実施(これは同年三月からは、雇用調整給付金による一時帰休制に拡大)するなど、実施できる施策は、組合の同意を得て全て行い、またそのころ、価格変動準備金八、九〇〇万円も取り崩した。もっとも、退職給与引当金六億二、〇〇〇万円余(法人税法の規定による税法限度額の一〇〇パーセント)は取り崩していないが、同引当金は、企業会計上取り崩すべきものでないばかりか、その性質から言ってこれを会社の運転資金とするよう求めることはとうていできない筋合である。
3 それにもかかわらず、被告の五二期の売上、受注は共に当初の計画を大きく下回り、計画に対して受注は約三〇億円、売上は約二三億円下落(とりわけ繊維機械、産業機械部門の落込みが激しい。)の見込みとなったばかりか、同期における資金繰の実績をみると、売掛現金回収が大幅に減少するなど経常収入が前期に比べて二八億九、〇〇〇万円余も減少した反面、経常支出は一四億八、六〇〇万円余しか減少せず、経常収支尻で一二億九、〇〇〇万円余の赤字となり、借入金の返済等その他の支出も含めると資金不足は二七億一、〇〇〇万円余にも及び、借入金二四億円余を調達できたものの、なお三億円余の不足を来し、また借入純増も約一二億五、〇〇〇万円にものぼっており、しかも、今後の売上、受注の大幅な向上はとうてい期待できない情勢にあった(もっとも、その後五三期では、環境機器が三三億七、〇〇〇万円余の売上を実現するなどしたため、一億五、〇〇〇万円余の経常利益をあげているが、全体の売上高自体は七〇億一、〇〇〇万円余と、前年同期に比して約三〇パーセントも減少しており、また依然として仕事不足から臨時休業制を継続せざるをえない状態であった。)。
そして、このような被告の経営状況を危惧して、昭和五〇年初めころ、取引銀行が被告に対する貸付金の一部を短期間に返済させるという事態すら起こるなど、金融機関に対する被告の信用も著しく低下するに至っていた。
4 ところで、被告においては、従来からその経営規模に比して相当数の余剰人員の存在することが指摘されていたが、このことは、被告の従業員一人当りの一か月の売上高が五一期において八八万円にすぎず、製造業平均が一五八万円、一般機械製造業平均が一一一万円(いずれも昭和四九年三月期)であるのと比較して極めて低かったことからもうかがうことができた。
そこで被告は、昭和五〇年三月時点で、五三期から五八期までの向後三年間の売上計画とこれに対する適正人員を算出した結果、別紙(三)記載のとおり(但し売上計画の数値は、建材部門を除いたもの)となり、各期において同記載のとおり余剰人員(但し被告保有人員を一、一九〇名として計算)が生じることが判明した。
これによると、右売上計画の数値は若干高めに設定されたものであった(五三期で既にその計画数値を下回った。)が、それでもなおかつ余剰人員は、三年平均でも毎期三八〇名にも達しており、これは単なる一時的なものではなく、長期的な余剰というほかない。そして、この余剰人員の人件費は、現行ペースでも三年間で約二六億円強にも及び、今後の会社経営を圧迫する重大なマイナス要因となっていた。しかも、生産性が高く将来性を期待されている環境機器部門は、他部門とは形態が異なるため、同部門への人員の配転は困難である等人員吸収余力の非常に小さい部門であった。
なお、別紙(三)の売上及び人員計画は、後の昭和五〇年一一月二五日に、会社と組合が雇用保障等について合意に達し確認書を取交した際に、組合においても、会社の再建計画の根幹となる数値として、その妥当性を承認したものである。
5 そこで被告は、昭和四九年末ころから昭和五〇年三月初めころにかけて、会社再建計画をたて、新機種の開発等をより積極的に行う一方、別紙(三)の売上及び人員計画に基づき、経営改善策の一環として、余剰人員のうち、労使関係を考慮して極力少なめに算出した三〇〇名の削減を決定した。
以上の認定事実によると、被告は、当時の経済界全般の情勢及び被告固有の経営上の諸問題等により、そのまま推移すれば将来共に恒常的に赤字が累積する、客観的に高度の経営危機下にあり、人員整理回避のための種々の経営努力を尽したにもかかわらず、もはや、経営を大幅に改善し、失墜しかかった会社の信用を回復して資金の流入を容易にし、これによって企業の再建をはかり、ひいては復配体制を確立するためには、経営合理化の一環として、会社において大きな経営圧迫要因となっている余剰人員の整理を行う必要に迫られていたものと認めることができる。なお、原告らは、経営危機を招いたことについての被告の経営責任を指摘し、そのような場合には人員整理は許されないと主張するもののごとくであるが、右のような事態に立ち至ったことにつき、経営上の見通しの誤り等被告の帰責事由を指摘しうる余地もないではないが、しかし、前記認定のとおり、なおその原因の多くは、経済情勢の推移等の外部的な要因にあるといえるのであって、経営側に一端の責任があるとしても、そのことの故に経営合理化及び人員整理の必要性までも否定し去ることはできないというべきである。
そして、整理すべき余剰人員については、前記認定事実に照らし、被告が三〇〇名の削減枠を決定したことは、十分その妥当性を肯認しうる。もっとも、後述するように、被告は組合との団体交渉の過程で右削減枠を二六〇名とし、最終的には二五〇名の削減にとどまったが、これは後記認定のとおり、被告が、早急に労使関係を正常に復して、人員整理を含む会社再建計画の早期達成を期すべく、あえて削減枠の点で組合に譲歩した結果なのであるから、何ら右三〇〇名の削減の妥当性を左右するものではない。さらに、最終的な削減人員が二五〇名となった経緯が右のとおりであることからすれば、後述するように二三六名の希望退職者が出た段階でも、なお削減枠に達するまでの人員を指名解雇することはやむを得ないものとして認めざるを得ない。
また、(証拠略)によると、被告は、本件解雇後も若干名の新規採用を行っていることが認められるが、他方(証拠略)によると、本件解雇後、会社全体の従業員総数は減り続けていることが認められるから、右の新規採用を行った事実から直ちに右人員整理の必要性までも否定することはできない。
四 次に、前記第二の解雇実施に至る手続的要件の点について検討する。
請求原因四2(一)の事実のうち、協約中に原告ら主張のとおりの各規定が存在することは当事者間に争いがなく、これによると、協約には、組合員の解雇について会社は組合と協議すべき旨のいわゆる解雇協議条項が定められており(協約三〇条、同覚書(5))、さらに、協約により協議を必要とする事項については、まず経営協議会における協議、次に団体交渉(申入れは書面による。)における交渉、そしてその後、労働委員会等の調停を依頼するか否かの協議決定を経るべき旨規定されている(協約七六条、八二条、八三条、八五条)。
ところで、右解雇協議条項について原告らは、少なくとも協約覚書(5)の規定の趣旨は、解雇同意約款であると主張するが、(証拠略)によると、被告は右規定を協約三〇条と同旨の解雇協議約款であると理解していること、組合は、本件解雇後の昭和五〇年九月二七日の会社に対する要求書の中で、組合員の解雇には組合の同意を要する旨の新たな協定の締結を会社に求めたが、締結には至らなかったことが認められるのであって、これらの事実によると、右規定は、組合員の解雇に組合の同意まで要する旨定めたものではないと解するのが相当というべきであり、したがって前記原告らの主張は採用できない。
もっとも、協約中に右のごとき解雇協議条項が定められ、しかも協約八四条が団体交渉において労使双方に問題解決のため誠意をもって努力すべきことをうたっている趣旨は十分尊重されなければならないから、解雇を行うにあたって、労使双方が合意に達する必要はないにしても、会社は、単に形式的に組合と協議をすれば足りるものではなく、協約所定の段階的協議手続を履践し、しかもその協議の実質的な内容が、労使間の信義則に照らして十分誠意をもって協議を尽したと評価できるものであることが必要である。
そこで、右の観点に立って本件解雇に至る手続をみてみると、請求原因三1ないし5の各事実は当事者間に争いがなく、この事実に、(証拠略)を総合すると以下の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
1 昭和五〇年三月一二日に開催された第一回経営協議会(出席者は、会社側は特別に出席した露木篤造社長を始めとして、本多時三常務取締役ら一〇名、組合側は藤江勝久執行委員長ら組合役員一七名。)の席上、露木社長は、組合に対して、前記会社の経営悪化の現状と今後の業績見込及び余剰人員削減の必要性について、具体的な数値を示しながら詳細に説明したうえ、応募者の再就職斡旋については努力するから、会社再建のため同月二四日から同年四月五日までの期間、三〇〇名の希望退職者を募集したい旨提案し、あわせて退職金等の募集条件と請求原因三2(一)ないし(七)各記載のとおり(但し(一)、(二)、(六)については、この段階ではまだ具体的基準までは示していなかった。)の右募集に応じて欲しい人の基準を示した。
これに対して組合は、このような事態に立ち至ったことにつき会社の経営責任を指摘して、希望退職者募集についての強い不満を表明し、二五パーセントもの希望退職者の募集は、組合として容認できる限界を超えているとしてこれを拒否したものの、内容においてなお吟味の余地があるとして、執行部で扱いを検討すると返答した。
2 同月一七日に開催された第二回経営協議会では、春闘の賃上げ要求に対する会社回答とあわせて人員削減問題が話し合われ、会社が、売上計画、人員計画等の会社再建計画の内容を具体的に説明したのに対し、組合は、原則的には反対を表明してその撤回を求めたものの、希望退職者の募集はある程度やむをえないとの態度を示し、会社に対し、人員の削減枠の縮少等計画の再検討を求めた。
3 同月一九日に開催された第三回経営協議会では、会社は、前回の組合の要求に対して、人員削減枠は変更できないが、退職条件の点で一部修正する旨回答したところ、組合は、条件交渉を行っているのではないと断りつつも、さらに退職金の上積みを要求し、また募集日については、同月二四日が臨時休業日であるから募集の受付けを延期するよう求めた。会社は、これに応じて募集の受付開始を同月二六日に延期した。
4 同月二六日に開催された第四回経営協議会では、人員削減問題について、会社は、削減枠の変更には応じられないとしつつも、退職条件をさらに修正したうえ、本日から募集を行いたいと組合に申入れたところ、組合は、退職条件についても依然難色を示しつつ、同月二八日に職場討議を行うから、それまで募集をしないで欲しいと要請し、これに応じて会社は、募集の受付開始を再び延期した。
5 同月二九日に開催された第五回経営協議会で、会社は組合に対し、希望退職に応じて欲しい人の基準について請求原因三2(一)ないし(七)各記載のとおりさらに具体的に説明したうえ、本日から希望退職者の募集の受付けを開始したいと要請し、これに対して組合は、会社が経営責任で希望退職者の募集を行うというのであればやむをえないとの態度であった。そしてその直後、組合の申入れにより、組合副委員長、書記長と会社との間で退職条件に関する事務折衝がもたれ、会社は組合の要求を受けて、退職条件について、最終的に請求原因三2(円満退職金、会社都合加算金に特別加算金及び特別慰労金を付加支給)記載の条件にまで修正する旨譲歩した(なお、その後さらに組合の要求により、五〇歳以上の者については、家族同伴旅行費用六万円も加算されることになった。)。この最終的な条件については、組合は、一応協約の精神は示されたとの評価であった。
なお、経営協議会については、労使双方でこの段階での打ち切りを確認している。
6 そして会社は、右同日夜(翌日が日曜日であったため、実質的には同月三一日から募集開始)に同年四月五日までの間希望退職者を募集する旨公示したところ、右期限までに一〇〇名の応募者があった。
一方組合は、経営協議会打切り後同月二日に、人員整理反対闘争のスト権確立のための投票を行ったが否決された。
7 同月七日に、労使双方の書面による申入れで第一回団体交渉が開催され、この席上会社は、組合に対し切迫した会社の経営危機を再度説明したうえ、実質的な希望退職者の募集期間が短か過ぎて、応募者が削減予定数に達しなかったことを理由に、右募集の期限を同月一二日までに延長したい旨申入れたところ、組合は、延長に反対はしたものの、会社がやるというのならやむを得ないとの態度であった。その結果、右同日まで募集期間が延長されて、合計二一三名の応募者が出た。
8 ところで会社は、同月一一日に従業員に配布した人事ニュースで、希望退職者募集への協力を呼びかけ、最悪の場合は指名解雇もありうる旨示唆していたが、応募者数が右のとおり削減予定数を大幅に下回っていたことから、同月一四日午前に開かれた常務会において、指名解雇による人員削減の実施を決め、同日午後に労使双方の申入れで開かれた第二回団体交渉で、組合に対し、改めて経営危機の現状を訴え、協約二九条五項に準じるものとして指名解雇の実施を提案し、その協議に入ることを求めた。
これに対し組合は、三〇〇名以上の余剰人員の存在自体については一応これを認める態度を示しつつも、希望退職者が相当数出たこの時点で、会社再建計画自体の見直しをするよう強く求めた。
なお、会社においては従来からの労使慣行として、団体交渉が開かれているときには、交渉事項に関連した問題については、改めて経営協議会を経ることなく、右団体交渉の場であわせて協議する取扱いになっており、また本件でも、組合は、指名解雇問題につき改めて経営協議会を経るよう要求したことがなかった。
9 同月一六日に行われた右団体交渉の継続交渉で、会社は、組合の右要求を入れて再建計画の再検討を行い、早期に余剰人員の削減を達成し、労使関係を正常に復して早急に再建計画に着手すべく、会社としては新規製品の人員の早期吸収等を経営努力として行い、また組合には、円滑な配置転換、週五日労働制への移行、定年後の再雇用に関する協定の中止等での協力を期待して、削減枠を二六〇名とする旨大幅に譲歩したうえ、五〇歳以上の者及び成績、出勤状況のよくない者につき、同月一八日から指名解雇を行うが、その場合の退職金は、会社都合による規定退職金とする旨組合に通告した。そして、右同日までの希望退職者の総数は二三六名となった。なお、希望退職を申出た従業員で会社に慰留された者は一人もいなかった。
10 会社は、同月一六日ころ、最終的に指名解雇の対象者として、原告らを含む一四名の従業員を選出した。すなわち、結婚等により近い将来に退職することが予定されている一〇名(実際に同年七月ころまでに全員退職している。)をさらに洗い出し、この数を削減枠の二六〇名に算入することとして右枠から控除し、この二五〇名の実質的な削減枠から希望退職者数を差し引いた数に相当する一四名を、希望退職に応じて欲しい人の基準をさらにしぼった被告の主張三2(一)ないし(三)(満五〇歳以上の人、欠勤日数の著しく多い人、勤務成績の著しく低い人)各記載の基準により選び出したのである(もっとも、欠勤日数の換算基準等右人選基準の詳細は組合には示していない。)。
11 同年四月一八日に組合の申入れで開かれた第三回団体交渉において、組合は、二三六名の希望退職者が出た段階で人員整理を終わって欲しいと会社に申入れたが、会社は、二六〇名(但し前記一〇名の退職予定者を加えたもの)の削減の必要性を強調して、一四名を指名解雇する方針は変えなかったものの、解雇の日付は同月二一日付とし、その日の午後四時三〇分までに退職の申出があれば、指名解雇を撤回して希望退職者として扱うこととする猶予措置をとる旨譲歩したうえ、被解雇者の氏名を明らかにして、即日組合に対して指名解雇を通告した(もっとも、このころには組合も、既に解雇対象者の氏名をほぼ把握していた。)。そして、その日の午後、解雇予告手当及び会社都合による規定退職金を提供して、原告らを含む前記一四名の従業員に対して解雇通告を行ったものである。
なお右のとおり、同月一八日の段階で団体交渉は決裂状態となったわけであるが、同日組合の方から会社に、協約八五条の手続を省略し、同日正午をもって争議段階に入りたいと申入れがあったため、労使双方でこの事実を確認している。しかし実際には、組合は、同月二一日に亀岡工場と尼崎工場とで三〇分間の時限ストを実施したにとどまった。
12 しかして、右一四名のうち五名が、右猶予期限までに退職の申入れをしたため、最終的に指名解雇されたのは、原告ら五名を含む九名であった。
以上のとおり認められるところ、第一回経営協議会以後本件解雇に至るまでの間の、会社の、人員整理の必要性(これは、前記三で認定したとおり、同時に指名解雇の必要性でもある。)とその人選基準(これをさらにしぼったものが本件解雇の人選基準となった。)につき組合に対して行った説明、削減枠や希望退職者の退職条件等での種々の譲歩、さらには指名解雇を通告するにあたっての猶予措置並びにこれらに対する組合の対応等を総合勘案すれば、本件解雇によって終結した本件一連の人員整理問題の過程において、会社は、実質的にみて、労使間の信義則に照らし十分組合と協議を尽くしたものと評価できる。もっとも、本件解雇自体については、経営協議会での協議を経てはいないものの、これが会社の労使関係上容認されうるものであったことは右に認定したとおりであり、また、指名解雇の提案から解雇通告までの期間が短かすぎると言えなくもないが、この点については、本件解雇が、会社再建計画に基づく人員整理の一環として、希望退職問題と同じ基盤のうえに立ち、その延長というべき問題として実施されたものであり、希望退職者募集の必要性や基準等に関して尽くされた協議が、実質的には大部分本件解雇の必要性や人選基準と密接に関連していること、これに既に認定した本件人員整理を行うさし迫った必要性等をあわせ考えれば、単に外形的な指名解雇の提案から解雇通告までの期間の長短をとらえて論ずることは、本件においては相当でないというべきである。さらに、会社は組合との協議において、本件解雇の人選基準のうち欠勤日数の換算基準等の詳細な事項についての説明をしてはいないが、右事項の内容及び前認定の会社のなした人選基準の説明、これに対する組合の対応など一連の協議経緯からすると、この点も本件協議全体を違法とするほどの信義に反したものでないことは明らかである。
五 そこで、さらに前記第三の要件について以下に検討する。
1 本件解雇の人選基準が、被告の主張三2(一)ないし(三)(満五〇歳以上の人、欠勤日数の著しく多い人、勤務成績の著しく低い人)各記載のとおりであったことは前記認定のとおりであるところ、(証拠略)によると以下の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
(一) 被告は、右人選基準を作成するにあたって、被告の主張三1(繊維機械部品から大型機種への転換の必要)記載の事情を考慮し、会社再建という観点からみた従業員の将来の期待度を、同三1(一)ないし(三)(年令、出勤状況、勤務成績)各記載の原則にのっとり評価し、希望退職に応じて欲しい人の基準をさらにしぼる形で、右人選基準を決めた。
(二) そして、そのうち「欠勤日数の著しく多い人」という基準については、早退、遅刻、診断書の提出がある病欠・休職等の欠勤換算基準及び年齢別の基準日数を、被告の主張三2(二)記載のとおり定めたが、この具体的な基準については、協約に基づく賃金規定六条<4>の規定及び数年前から実施されている夏・冬の一時金算定の際の欠勤控除の取扱を参考にし、それを一部修正して定めたものであり、また年齢別の基準日数については、年齢の高い人は概して有給休暇が多いうえ(有給休暇は、組合活動による休暇とともに欠勤に算入しない取扱い)、新しい技術、技能への適応可能性に対する期待度が低いとみられることから、右のとおり差を設けたものであった。
(三) また「勤務成績の著しく低い人」という基準については、会社がその人事権の行使として、従業員の成績をAからEまでの五段階に査定し、これを昇給等の基準とすることが右賃金規定上認められていることから、過去三年間の成績が二年以上Eの人であることを具体的な基準としたものであった。
ところで、被告は、右成績考課にあたっては、毎年これを行う管理職に、人事考課実施要領を配布し、事技職員に関しては、第一次評定者(課長)、第二次評定者(部長)を経て、会社全体での考課会議にかけて決定するなど、評定者の恣意をできるだけ入れないよう配慮し、しかも、その結果については、毎年組合に報告していた。
そして、事技職員の査定結果をみてみると、
昭和四七年 四一三名中Dは一・七パーセント、Eは〇。
昭和四八年 四一二名中Dは四・四パーセント、Eは〇・二パーセント
昭和四九年 三九九名中Dは四パーセント、Eは〇・二パーセント
となっていた。
しかして、高度の経営危機下において、企業が経営を合理化してその再建をはかるために人員整理を行うことが許容される以上、その際企業が、従業員の将来の期待度の多寡に着目して被解雇者の人選基準を設定することは、当然にこれを容認せざるを得ないから、その意味で、欠勤日数や勤務成績を選定の要素とすることは合理的であるといえる。
なお、人選基準が合理性を有する必要はあるにしても、人選基準自体は解雇理由そのものではないから、同基準が協約所定の従業員資格喪失事由と異なることがあるのは当然であり、また、その設定に際し、労使間の合意を必要とするものでもない。
2 ところで、そのうち欠勤日数による人選基準の具体的な基準については、将来の期待度の有無を判断するにあたり、早退、遅刻等の欠勤換算をいくらにするかとか何日をもって基準に該当するとするか等につき、一義的かつ明白な基準があるわけではなく、賃金規定や一時金の欠勤控除の取扱等を参考にすることも十分に理由のあることであるが、それはもともとその目的を異にしているのであるから、単なる基準設定の目安の一つに過ぎないものであって、結局、いかなる数値を基準として設定するかは、著しく合理性を失しない範囲で、使用者の裁量に委ねられているものと解するのが相当である。
原告らは、診断書のない病欠・休職について、その実日数を欠勤一日とすることは不公平である旨主張するが、右具体的基準設定の前記認定事実からすると、これは会社が一時金の欠勤控除の取扱の趣旨を汲んで、診断書の提出ある場合に限って基準を緩和したため、その反面として、診断書の提出のない場合が提出のある場合に比して不利益となったに過ぎないものと解され、他方会社にそれ以上の格別の思惑があったとは認められないから、このように定めたことをもって、前記裁量の範囲を逸脱したものとは認め難い。
そして、前記認定事実によると、欠勤日数による基準についての具体的な基準は、いずれも合理性を有するものと認めることができる。
しかして、(証拠略)によると、原告細川、同藤川、同太田、同武田の本件解雇当時過去三年間の各欠勤日数(早退等も前記換算基準により換算したもの)は別紙(四)のとおりとなること、欠勤日数の基準に該当する従業員で、本件解雇後も会社に残った者はいなかったことが認められ、右認定に反する(証拠略)は前掲各証拠に照らしてにわかに採用し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。そうとすれば、右原告四名に対する人選基準の具体的適用も、合理的かつ公平であったといえる。
3 次に、成績による人選基準についてみると、成績考課は、必然的に考課者の主観や恣意が入りやすいものであることは否めないが、前記1(四)認定のとおり、被告としては考課手続ができるだけ恣意的にならないよう配慮しており、また過去三年間で二年以上Eに該当する人はごくわずかに過ぎないことから考えて、「過去三年間で二年以上Eの人」との具体的基準は、十分合理性を有するといえる。
そして、(証拠略)によると、原告入谷の成績考課は、昭和四七年がD、昭和四八、四九年がいずれもEであったことが認められ、右の具体的な基準に一応該当する。さらに実質的にみても、同原告が研究員としての一一年間に保有した工業所有権が八件であり、その他請求中または保留中のもの等を含めても一五件にとどまることは当事者間に争いがなく、(証拠略)によると、同原告と同期入社、同学歴の研究開発を担当していた組合員に係る件数は、一人が二九件、他の一人が二三件であること、会社の保有する工業所有権数は五〇〇件以上で、その内実用化されているものは二〇三件であるところ、同原告の工業所有権で実用化されたものは一件のみであったこと、他に右の具体的な基準に該当する従業員はいなかったことが認められ、これらの諸事実に照らしても、同原告が、実質的にも「勤務成績の著しく低い人」に該当するといえる。(証拠略)によると、同原告は日本学術会議の会員であることが認められるが、この事実をもってしても直ちに右認定を左右するに足りず、他に右認定を覆すに足りる的確な証拠はない。そうとすれば、同原告に対する人選基準の具体的適用においても、合理的かつ公平であったといえる。
六 以上検討したところを総合すれば、本件解雇は、人員整理の必要性があり、かつ解雇に至る手続は労使間の信義則にかなうもので、被解雇者の人選基準の設定は合理的であり、原告らに対する右基準の具体的な適用においても合理的かつ公平なものであったといえる。
なお原告らは、希望退職者募集の際、会社が従業員に対して応募するよう恫喝するなどした旨主張し、(証拠略)中には、右主張に沿うかのごとき部分もないではないが、そもそも希望退職募集の際の違法が、直ちに本件解雇の違法事由となるかは多分に疑問であるうえ、右各証拠によっても、会社の従業員に対する希望退職の説明及び説得活動が、社会通念上許される限度を超えて違法にわたるものであったと認めるに足りない。
また、本件解雇が整理解雇としての有効要件を満たすものである以上、本件においてはそれが実質的な懲戒解雇に該当するかどうかを論ずるまでもないことは明らかである。
他に本件解雇が解雇権の濫用によりなされたものであると認めるに足りる証拠はない。
七 以上の説示によれば、本件解雇は、協約二九条五項に準じるものとして有効というべきである。
そうすると原告らの本訴請求は、その余の点につき判断するまでもなく、いずれも理由がないことに帰するからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 中田耕三 裁判官 坂本慶一 裁判官 岡田雄一)
別紙(一)
<省略>
別紙(二)
<省略>
別紙(三)
<省略>
別紙(四)
<省略>